素劇 あゝ東京行進曲@浅草木馬亭

butoh-art2008-10-30

 劇団1980の傑作芝居。戦前活躍した歌謡歌手、佐藤千夜子の生涯を描く物語。結城亮一の原作に藤田傳が脚本、関矢幸雄の演出。東北から14歳で上京した娘がチャンスを得て日本最初のレコード歌手として成功。新民謡といわれるポピュラーの走りを歌って活躍するが、本格歌手を目指しイタリアに学ぶ。帰ると時代は戦争に向かい、戦後は淋しい最期を遂げる。
 なんとなく聞き覚えのある歌が次々と登場するが、伴奏もすべて役者の声、アカペラで演じられる。さらに凄いのは装置。二十数個、辺が五十センチ程の黒い箱、立方体と白い縄だけで、月山の風景から汽車、ピアノ、教会や十字架、墓などすべてを表現する。そして二十名ほどの出演者がさまざまな役を入れ代わりこなすのも楽しい。藤原義江山田耕作中山晋平上山草人といった人物から、藤山一郎、笠置シズコの物真似、十字架のキリスト像まで演じられ、二人の語り手役が、時折、狂言回しとして、インテルメッツォを挟む。
 この極めてシンプルながら想像力を刺激するアカペラ、箱と紐の舞台を「素劇」といっている。演出家、関矢幸雄の提唱したもので、装置は「見立て」により、表現される。おそらく日舞や落語での扇子の扱いなどが元だろう。関矢は長く児童のための演劇に関わったが、設備のない学校や地域巡業向きであるのみならず、子どもの想像力を刺激するものだ。関矢は劇団素劇舎を主宰、劇団はいまも学校を回っているようだ。
 関矢はもともと舞踊家で、若くから高く評価されているが、実は土方巽の舞台に出ていることで、以前から注目していた。土方が安藤三子の元を出て転がりこんだ阿佐ケ谷のアルスノーヴァ、その劇場をヨネヤマママコのために作った音楽家、今井重幸が人間座で作った舞台、「ハンチキキ」(俳優座劇場)がその接点である。土方はこのアイヌに題材をとった舞台を近くに住む金田一京助に取材して振り付けた。それに関矢幸雄は出演しているのだ。
 舞踏の始まりといわれる「禁色」の直前の舞台である。これには、大野一雄、ヨネヤマママコ、西田尭、庄司裕など、後の舞踊を背負う人々が出ており、「体操のお兄さん」で知られる若き砂川啓介もいる。アイヌの物語により様々な鳥にそれぞれが扮した作品だ。ちなみに「禁色」の1カ月後、日本青年館の舞台でも上演されている。
 僕が劇団1980のこの舞台を見たのは、ブラジルの舞踏グループ、タマンドゥアを日本に呼んだことがつながりだ。その演出家が半世紀前の土方とつながっていたのだ。劇団1980はこの芝居を持ってブラジル中を旅したが、そこには、土方がかつて追い回した図師明子が、美術家小原庄とともに移住して、弓場バレエを創っていた。かくも舞台はめぐるものだ。
 31日まで。浅草木馬亭にて
 志賀信夫