肉体の大バーゲンセール

butoh-art2008-10-23


旧名、古澤栲、いまは、首くくり栲象。彼と、飯田晃一による舞台。栲象のパフォーマンスである首吊りがメインで、飯田がどう絡むかというのが見どころ。バーゲンセールに絡むチラシと上から値札のついたモノがぶらさがる舞台、ハンモックに大売出しの旗、褌で寝る飯田。栲がバトミントンのラケットに乗せ何かを運ぶ。赤い縄だ。
やがて栲の動きに合わせて飯田が動く。動けば動くほど、素人感覚しか見えない。それはソロでも同様で、スポーツ的な身体。裸身のポーズと褌ファッションにはフォトジェニックなものしか見えなかった
一方、栲は六十年代の美術パフォーマンスから、いまその淡々とした動きが、次第にダンス的ともいえる空間を作り出すようになっている。それは首吊りの前後の静かな動きに表れている。栲が手を延ばし空間を横切るとそこには何か世界ができる。それを見ながら、合わせて動く飯田を見ると何もない
以前に栲と大森政秀が美学校でデュオをした。そのときは二人の動きが拮抗した。比べるまでもないことだが、飯田の動きにあるのは自分の身体への中途半端なナルシスだけだった。枯れた身体と肉っぽい身体のコントラストは面白いが、それだけだ。
居合わせたゼロ次元の加藤好弘は、栲と38年ぶりの再会という。飯田を栲の身体性を学ぶ若者として評価した。しかし飯田に本当にその気があるなら、半端に合わせずにちゃんとぶつかるべきだ。たとえば吹き抜けのこの舞台に宙吊りになり続け、そこで栲が動き、首を吊るとか、飯田は自分の限界を超えるコトを見せてほしかった。なぜなら栲は毎日首を吊ることで自分と闘い続けているのだから
栲の首吊りは儀式、パフォーマンス、ダンスのいずれとも名付けがたいが、徹底した身体の中に向かう表現として屹立している
飯田はこれに対して、吹き抜けから飛び降りるなら、壊れそうになるまで飛び降りるとか、何か徹底すべきだ
飯田は「寿司と戦争」「肉体の大バーゲンセール」とネーミングがうまく、企画力、チャレンジ精神がある。その点は大いに買っている。肉体表現にこだわるなら、自分の内部に向かう方向性を常に意識すべきだろう。そして一つ一つの動きをもっと大事に丁寧にすべきだ。敢えて苦言を呈したが、今後に期待する。

志賀信夫4-B