小林嵯峨「半分夢」に負けた

王子神谷から徒歩十分以上。死んだような庚申塚商店街を歩いた裏にある東京バビロン。辿り着くまでも舞台の導入とは、名言。劇団阿弥主催者岡村洋次郎の劇場に嵯峨はよく似合う。
闇の中に浮かび上がる顔のない女。衣裳が顔を覆い白く蝋燭の光に浮かび上がる冒頭に、まいった。美しく奇妙な人間存在をここに醸す。さらに奥、ホリゾント前、僅かな光に全裸で踊る姿のなんと夢幻的なことか
そしてサスの光の下で無意味な手の動きとともに踊る姿は、嵯峨の舞踏がまさに迫る。時に着替えか踊りか判別できない瞬間もあるが、しかしラスト。
嵯峨が上手奥に去るとそこから堰を切るように、しかし静かに舞台に水が流れて来る。なんとも映画的情景で、ここで終わるかと思うと、バッと上手奥の暗幕が消え、強い逆光の光と煙とともに白い布に巻かれた嵯峨が立つ。おおっと一同どよめき感動する。さらに前に進むと膚色チューブがまとわりつく。体を物体にしつつかつ生身であろうとする。燃える提灯、そして吠声が切実に絞りだされるこの小林嵯峨という存在には、改めて舞踏の舞姫の名が相応しいと思った。
絶賛された舞台「マグサレ」も成瀬との軋轢で不満だった嵯峨。だからこそ、あのときの石川雷太とともに、思うままの舞台を作ったが、それは嵯峨に新たな世界を作り出させた。軋轢にもそれだけ意味があったのだ。
雷太の音とは三度目だが、嵯峨とともに即興性が強いテンションを作りだした。
ともあれ最終日に来て、明日見てといえないのが不覚
再演を望むが、まずは八月バビロンでの嵯峨組の「踏み外し」参加企画に期待しよう

志賀信夫