追悼文

大野さん
1977年、第一生命ホールの2階席から、その姿を見ていた。バッハの『トッカータとフーガ』の重厚なパイプオルガンの音が響くなか、客席から異形の存在が立ち上がる。白塗りに化粧、紅を差し帽子にマントの老婆のような人。媚を見せながら静かに舞台に上がっていく。すると倒れ臥して暗転。しばらくすると、明るいシュミーズのようなワンピースの華奢な少女が、恥じらいながら起き上がる。
下手からピアノとともに運ばれた男性は裸身の上半身をピアノに預け、バッハの『平均律』を奏でるはじめると、両腕を左右に開き、磔刑のキリストにも思える姿で、流れるピアノの音の中に浮かび上がる。
気がつくと、涙がこぼれていた。なぜ泣くのか、自分でもわからない。しかし確実に何かに触れていた。それは一つには本物の芸術であり、おそらく大野一雄その人とその心だった。
そのときから僕は大野一雄を追い続けている。代表的な舞台はほとんど見続け、20年近くたって、関わっていた雑誌で、インタビューをしようと決心した。そして初めて上星川のお宅に伺ったとき、わざわざ坂の下まで迎えに来てくださった。足が悪いのに。そうして、あの『ラ・アルヘンチーナ頌』のビデオを自らダビングして準備してくださっていた。
インタビューを始めた2時から気がついたら8時すぎ、時に踊りを交えて話す大野さん。そして奥さんと3人でカレーを食べて、スタジオで衣裳を見ながらまた話す。尽きない。それからアトリエ公演などに伺うようになった。
そして僕は、このインタビューから舞踏、ダンスについて次第に文章を書くようになって、いまに至るのだった。
だが、大野一雄の踊りの魅力について、まだ書ききれない。というか、わからないのだ。なぜ、すごいと感じるのか、なぜ泣くのか。
そして今日は、それとは異なる涙を流し続けている。あの暖かい掌の感触を感じながら。
      合掌
志賀信夫